学長からのメッセージ

創立120周年に向けて

学長 金子一秀

本学園は2022年(令和4年)に創立120周年を迎えますが、いま世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症は、まさに未曾有の危機です。すでにワクチンが開発され、日本でも接種が開始されましたが、世界中の人々がコロナ禍の終息を願っています。本学もこのコロナ禍が終息し、来年度には新しいスタートとして120周年を迎えたいと切に願っています。その記念事業として「藤村スポーツセンター」が建設中で、令和3年度の8月には完成する予定です。

本学は1902年(明治35年)に、上富坂町(現在の文京区小石川町)の教会を借り「私立東京女子体操学校」としてその産声を上げました。学制改革後「東京女子体育短期大学」として、その後、転居を続けながら昭和37年に、「東京女子体育大学」の開設設置認可が下り、現在の国立市に「東京女子体育大学・東京女子体育短期大学」が移転・開設され、現在に至っています。

このように、本学の歴史は古く、明治という時代に「女子体育は女子の手で」というスローガンのもと、我が国で女子の体操学校が初めて認可されました。その後「東京女子体操音楽学校」と改変され、当時は「音体」という名で親しまれていました。蛇足ですが、私が本学に就任したとき「東京女子体育大学に勤務することになりました」といっても、年配の諸先生方はよく分からず、「昔の音体です」といえば、「ああ、音体か」と理解してもらえたほど「音体」は全国的に有名な大学でした。120年という長い歴史の中で「音体」の時代を知っている人も少なくなり、今改めて「東京女子体育大学・東京女子体育短期大学」の名を全国に広めていかなければなりません。

本学の教育内容は、当時国を挙げて取り組もうとした形式的なスウェーデン体操を否定し、ドイツ式体操を主軸に展開しました。当時の自由なスポーツや運動技能を重視する嘉納治五郎や坪井玄道と軌を一にし、藤村トヨ先生がドイツからワルター女史を招聘したことはよく知られた事実です。そのような中で、本学は技能派の道を歩み、現在においても伝統的に実技授業が多く展開されています。さらに運動クラブ活動が盛んなのは、体育大学という特性だけでは語り尽くせない歴史に支えられているようです。その学風は脈々と受け継がれ、さらに、その学風を支える卒業生が教職員の中にも多くおります。

さて、今改めて大学教育が問われる時代となってきました。大学の適正を判断する大学認証評価では、内部質保証と称し、単に授業を受け卒業単位がそろい卒業させるだけでは、大学の使命を果たしてはないと断言します。そこでは大学教育によって、学生自らにどのような能力を身につけさせるかを外部に公表し、その成果を学内で検証し、さらに改善しながら教育の質保証を行うことを求めています。

本学は女子体育教師養成学校として産声を上げましたが、その伝統を維持・向上させながらも、多様な学生を受け入れている今は、体育・スポーツの学びを通して身につける能力を育むことを第一義として、体育大学としての社会的な責任を果たしていきます。このような時代の変化に対応すべき、今大学では多くの改革を行っています。120周年を機に、高等教育機関としての新しい学びの構築に向かって邁進していきますので、どうかご理解、ご協力をよろしくお願いします。