学園の沿革


発祥校舎 小石川区上富坂町(現・文京区小石川2丁目)の独逸神学校を、午後だけ30円で借りたもの。開校式は明治35年6月8日。2ヶ月で転居。


藤村トヨの薙刀演技 写真左がトヨ。


屋内体操場での授業風景


陸上競技の授業風景


昭和20年8月終戦。やがて学園にも生気が蘇った。近くの井ノ頭公園の池畔で、はつらつと躍る学生達。


東京オリンピック閉会式を飾る 本学生だけのタイマツによる“さよなら”フィナーレ。


「幼児教育科」開設、新館(旧4号館)竣工


陸上競技場が公認のグラウンドとなる


藤村トヨの銅像 80周年記念事業の一つ。半世紀にわたる功績をたたえ遺徳を偲び、建学の精神に思いを致すもの。四田昌二氏制作。


藤村総合教育センター

明治 35年 5月
10日
山崎周信、「私立東京女子体操学校」を小石川区上富坂町に設立
  6月 子爵松平直敬に初代校長を委嘱
  11月 「私立東京女子体操音楽学校」と改称
36年 6月 永井直哉第二代校長就任
39年 12月 高橋忠次郎第三代校長就任
41年 3月 藤村トヨ、学校設立者に加わり第四代校長となり、学則を改正
大正 8年 4月 学則改正(修業年限2年)し夜間部を設置、音楽を兼修
10年 12月 北多摩郡武蔵野村吉祥寺に新校舎起工移転
13年 4月 藤村校長、機関紙「婦人と体育」を創刊、「健康の女性」(大正14年1月)、「女性美」(昭和4年4月)、「女性体育」(昭和6年2月)などの「音体」機関紙の原型となる
14年 2月 卒業生に対する中等教員体操科無試験検定の特典をうける
昭和 3年 5月 藤村校長、欧米体育視察出発、以後3年にわたり渡欧
6年 5月 ドイツからG・ワルタ-、K・ブラントを招聘
19年 4月 専門学校令に基づき東京女子体育専門学校(修業年限3年)に昇格
25年 4月 学制改革に伴い、東京女子体育短期大学(修業年限2年)となる、藤村トヨ初代学長就任
26年 3月 学校法人藤村学園設立、藤村トヨ、初代理事長就任
30年 1月 藤村学長逝去
31年 8月 伊澤ヱイ教授 学長就任
36年 9月 校舎を北多摩郡国立町に新築移転
37年 4月 東京女子体育大学(修業年限4年)を創設、伊澤ヱイ学長就任、短大学長を兼ねる
40年 1月 伊澤学長逝去、出口林次郎学長就任
  6月 佐々木吉郎 学長就任
42年 4月 森悌次郎 学長就任
43年 4月 短期大学に幼児教育科を新設
  5月 創立65周年記念式典挙行。
44年 4月 幼児教育学科、保母養成学校指定を適用
  7月 森学長急逝
45年 4月 鈴木清 学長就任
48年 4月 短期大学に児童教育学科を新設、短期大学の保健体育科を保健体育学科と改称
49年 3月 短期大学の幼児教育科を廃止、保母養成学校指定を解除
55年 4月 西田泰介 学長就任
  11月 創立80周年記念式典を挙行。
59年 4月 野澤要助 学長就任
平成 2年 4月 入倉富夫 学長就任
5年 4月 鈴木祐一 学長就任
  10月 創立90周年記念式典を挙行。藤村総合教育センタ-の設立
11年 4月 高島稔 学長就任
14年 4月 塩野克己 学長就任
  11月 創立100周年記念式典を挙行。100周年を契機に教育改革に着手
19年 3月 短期大学、(財)短期大学基準協会で適格認定される
20年 3月 大学、(財)日本高等教育評価機構で適格認定される
  4月 阿部征次 学長就任
22年 4月 加茂佳子 学長就任
23年 5月 加茂佳子 理事長就任(学長兼任)
24年 11月 創立110周年記念式典を挙行。12号館の建設及び110周年記念藤村学園資料室の設置
25年 5月 髙井和伸 理事長就任
26年 3月 短期大学、(一財)短期大学基準協会で適格認定される
27年 3月 大学、(公財)日本高等教育評価機構で適格認定される
27年 5月 雨宮忠 理事長就任
28年 4月 浅見美弥子 学長就任
令和 2年 4月 金子一秀 学長就任