【110周年特別企画】東女体大とスポーツと私(若山 章信)
記事公開日:2012.10.28
本学は今年で110周年を迎えました。
それを記念し特別企画として、教職員からメッセージをお送りいたします。
テーマは【東女体大とスポーツと私】
第8回 若山 章信教授(専門:バイオメカニクス)
私が教員を目指したのは意外にも早く、小学校4年生の時でした。「飛び出せ青春」という学園ドラマの影響です。英語の先生がサッカー部の顧問でもあって、落ちこぼれの生徒たちの意識を変えていくというような内容です。合い言葉は「Let’s begin」、主題歌「太陽がくれた季節」は、若い世代でも聴いたことがあるかも知れません。最近だと「ルーキーズ」みたいなドラマです。しかし、当時は高校教員志望でした。
大学の教員を目指し始めたのは、大学4年生の時でした。陸上部の先生に、「お前、将来どうする」と聞かれて、「大学の教員になります」と即答しました。自分の競技レベルが上がった分、より高いレベルで指導をしたいと思うようになったからです。そして、「大学の先生になるには、しっかり研究もしろ」と言われ、大学院を出た後10年間、愛知県にある【スポーツ医科学研究所】で研究員をしました。その頃は、プロ野球選手やオリンピック代表選手をはじめ、トップ選手の体力チェックやトレーニング指導が業務のひとつでした。そこで感じたことは、「選手だけでなくコーチの多くが、運動生理学やバイオメカニクスを理解していない。筋肉名やスポーツ傷害のことも分かっていない。」という現実でした。食事は作れるが、栄養のことを分かっていないようなものです。体育大出身の選手・コーチですら、多くがそうでした(25年も前ですから、スポーツ科学がそれほど浸透してなかったことも理由のひとつです)。そこで私は、選手指導よりも指導者養成のほうに興味を持ったわけです。そして、平成10年に東京女子体育大学に採用されました。藤村トヨ先生の掲げた建学の精神「女性体育指導者の育成」と、通ずるところがあったと言えば聞こえはいいのでしょうが。
現在の本学学生に思うのは、「もう少し勉強してほしい」ということです。実は、自分が大学1年生の前期は、陸上部の練習以外ではほとんど大学に行きませんでした(喫茶店で時間をつぶしていました)。そうしたら、【不可】や【保留】ばかりの成績が陸上部の先生に知られてしまい、「競技力を伸ばすヒントが座学の中にも沢山ある。それを軽んじる者は強くなれない」と、思いきり怒られました。今にして思えば、中途半端な成績で先生の目にとまらないよりも良かったのかも知れません。競技に対しても、勉強に対しても、意識が変わりましたから。
もう、制限文字数です。こんな話でよかったらいつでもしますから、研究室に遊びに来てくれ下さい。
オフィスアワーは火曜日の昼休みです。
【写真は、水泳実習時のものです】
ブログを書くと学生に言ったら、「現役の頃の写真が見たい」と真顔で言われたので、恥ずかしながらアップします。左脚のブロックが効いていて、肩の外転も十分。バイオメカニクス的にも良いフォームです(自画自賛)。
私のことを堅物(かたぶつ)と思っている学生も多いようなので、お馬鹿な写真も一枚。本学の教職員はみんな気さくですよ(肖像権法により無断転用を禁ず(笑))。
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