この連載では、母校に戻り現在も教員として活躍し、クラブの指導も続ける卒業生にいくつかのテーマについて当時の想いを語っていただく連載です。
初回は、体育学部体育学科体育実技担当、体操競技部指導者の井上麻智子先生にお話を伺いました。
第2回は、競技者として実力を発揮できるコンディションづくりについて教えていただきました。
私は人生で大きな手術を3回していて、全てが同じ手首の舟状骨のケガによるものでした。
自然治癒しない骨なので、手術で骨を補うかボルトを入れるかの選択に迫られるんです。初めて発覚したのは、中学3年生の時でした。高校でも、もちろん体操を続けるつもりで一年後の佐賀県でのインターハイを見据えていた時期です。絶対に出たくて、メンバーになる気持ちでいましたから、高校で競技が続けられなくなってもいいから出場すると当時の監督に直談判しました。
監督は「今じゃない。あなたには大学でも選手として花開く経験をして欲しい」と。それでも思い悩みましたが、その言葉を受けて最終的には手術を受ける、すなわち一年後の舞台を諦めるという決断をしました。
地元でのインターハイはとても脚光を浴びるんです。出るはずだった舞台で同級生が活躍する姿は悔しさの方が勝ちましたね…。
さらに、治療に専念している中で、第二次性徴で月経や身長が大幅に伸びるなどの体の変化が始まりました。ケガと体の変化に戸惑いもあって、その頃は前の自分に戻りたいという気持ちもどこかしらありましたね。
でも、その変化がもたらしてくれたこともあります。当時、1年間に6センチも身長が伸びて、周りの体操選手よりも大きな背丈と長い手足を手に入れました。大きな選手が平均台の上で伸びやかに演技をするのは、とても華やかなんです。
変化も受け入れられるようになってきた頃、ボルトが緩んできたことで手術が必要になりました。大学一年生でした。また競技から離れる一年。前回の時よりも、体力は落ちやすくなっていましたし、コンディションの維持という大きな壁にぶつかることになります。
それでも、大学の頃には、私が目指す体操もはっきりしてきていて、周りが競技に当てている時間や怪我で競技から離れる時間を逆手にとって、私は自分の演技を体現するために必要な力をつけることに費やしました。
床での演技は後半がキツい。であれば、その後半にこそ大技が繰り出せるような持久力をつけることは必須です。だからこそ、30分走って疲れが蓄積しているタイミングでダッシュ5本など、追い込みをかけることをしていましたね。
おかげで体操選手が付きにくいといわれる持久力という武器も備わっていきました。これは普通に練習を続けていても確実につかなかった力で、それを手に入れられたのは大きかったです。
井上先生の長い手足を活かしたダイナミックな演技は2014年度の大学案内の表紙を飾った
ケガをした当時には、その先に「私の体操」が確立できるという確信もないわけで、後から振り返ってこの経験があって、今があると言えるんですけどね。
周りの選手とは違う時間をケガしたことで得て、早くから壁にぶつかってそこで立ち止まって考えることができたこと、それが精神的にも身体的にも大きく成長するタイミングで得られたことは、指導者になった今では何にも代えがたい私の武器になりました。壁を転機ととらえて奮闘できた自分がいて良かったです。
指導する中では、青年期に入りコンディションの作り方に悩む学生とたくさん出会いました。学生たちは一様に「(コンディションが悪くなる)以前に戻りたい。昔の自分の方が良かった」と比べてしまいがちなんです。でも、そうではなくて今の自分を受け入れて、今の自分がどんなことに時間を費やして、どんな自分を目指すかだよ、と。その先には成長した新たな自分で出会えるんだぞ、と体験的にも伝えられるのは、わたしがその道を通って今があるからですね。
ジュニア期から青年期にかけて、自分の体を使って様々な方法でのコンディションの整え方を試しましたし、それぞれで感じた心の動きを知っています。これからの学生が私と同じ気持ちとは思いませんが、少なくとも寄り添って一緒に考えることができる。そうして学生たちの花開く瞬間に出会わせてあげたいと思っています。
連載の第3回は、競技者としての自分の感覚と、指導者としてたくさんの学生を見てきたからこそ伝えたい「できる」「できるようになる」ということはどういうことなのかについて、井上先生の考え方をお伝えしていきます。
お楽しみに!
2023.06.19
2024.04.24
2024.06.15