TWCPE HEADLINE|東京女子体育大学・東京女子体育短期大学

東京女子体育大学・東京女子体育短期大学

TWCPE HEADLINE|東京女子体育大学・東京女子体育短期大学

研究・教育

明治41年、32歳の藤村トヨ先生が第4代校長になる 図書館貴重資料から

記事公開日:2024.06.25

この写真はトヨ先生が女子体育の道に開眼する数年前の香川県師範学校時代のもので、前列中央に座るのが後に東京女子体操音楽学校の設立者になる恩師の高橋忠次郎先生です。その左に座っているのが藤村トヨ先生です。「創立者の群像(2)高橋忠次郎」によると(藤村学園100年のあゆみ)、高橋忠次郎先生は明治31年から32年の間、香川県尋常師範学校に勤務しています。藤村トヨ先生はこの時すでに病気退学して、学校ではすれ違いになっていたと記されていました。
写真の姿をよく見ると、顔色も良くふっくらしていて健康は取り戻されている様子です。明治32年には両者とも、申し合わせたように香川県を離れることになります。(トヨ先生は、女子高等師範学校本科理科に入学/忠次郎先生は日本体育会体操練習所の教師に招聘)その後、高橋忠次郎先生が女子高等師範学校の体操講師として赴任して二人は再会します。

 

本学の実質的創設者である藤村トヨ先生は、日本の女子体育指導に多大な功績を残し、本学園の礎を築かれました。
その内容は、「藤村学園七十年の歩み」「藤村学園八十年のあゆみ」「藤村学園100年のあゆみ」周年行事の記念誌の中で詳しく紹介されています。本学図書館には、関連書籍や学園資料など蒐集されたものを貴重資料として収蔵しています。その後、卒業生にお願いをして学園関係の資料、写真、ネガなども含めて数多く提供され、私たちが閲覧できる資料として保管されています。

藤村トヨ先生の写真は、貴重資料(データベース)を閲覧していて見つけたものです。記念誌に記された当時の様子を用いながらご紹介いたします。

 

トヨ先生が上京、私立東京女子体操音楽学校に奉職

明治37年10月第5回卒業式 現存最古の卒業記念写真前列中央高橋忠次郎。

明治36年に体育への道に決意を固めた藤村トヨ先生は、明治37年4月に上京して私立東京女子体操音楽学校で生理解剖・体育原理などを担当します。同年、師範学校女子部と高等女学校の体育科免許状を取得し、我が国女性二番目の合格となりました。トヨ先生の赴任と同じくして、恩師の高橋忠次郎先生が学校設立者になっています。

 

藤村トヨ校長が誕生、苦難とともに女子体育の道はじまる

明治43年10月 第15期卒業生と藤村トヨ校長 妹君の伊澤エイ先生とともに

藤村学園100年のあゆみの中では、以下のように記されています。

<明治39年に高橋校長渡米以後、福田観学に委ねた経営の不調、生徒数の減少などの苦境に直面、ついに明治41年2月、東京府から「三月限り閉鎖スベシ」との命を受けるに至った。しかしこの命令は、教員の一人であったトヨの賢明な陳情と、それを支援してくれたトヨの女高師時代の恩師町田則文、坪井玄道などの力によって撤回された。その結果トヨに再興させるということになり、渡米中の高橋忠次郎校長の辞任、後事委任書も得て、明治41年3月19日、藤村トヨ校長が登場するわけである。>

忠次郎先生は、体操と音楽と女子を結びつけるための教育機関として私立東京女子体操音楽学校設立を牽引した恩師です。トヨ先生は、高橋忠次郎先生がアメリカから帰国するまでの期間を引き受けたつもりだったそうですが、大正2年に高橋忠次郎先生は米国にて盲腸炎でお亡くなりになります。現地邦人子弟のため学校設立に向けて奔走し、アラスカからシアトルに向かう船中だったこと、志半ばでさぞ無念であったことでしょう。こうして、トヨ先生は女子体育と学校経営に生涯を賭ける運命を得ることになるのです。

 

明治35年頃の藤村校長 図書館貴重資料から

トヨ先生の恩師 高橋忠次郎先生 図書館貴重資料から
・・・間もなく公開・・・

学園の沿革

関連記事

【 自治体連携 事業 】『立川市立立川第三中学校 図書館見学ツアー・図書貸出を実施します

2024.07.09

楽しく動いて、シニア世代の心と体を元気に!(第4回)

2024.06.17

楽しく動いて、シニア世代の心と体を元気に!(第3回)

2024.06.10

楽しく動いて、シニア世代の心と体を元気に!(第2回)

2024.06.06